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【連載第7回】 (2009年8月17日公開)

死者たちの歴史の上に私たちは生きている

八月に入ると、日本人の心は「戦争という物語」へ連れ戻されます。同時に、この季節は、高校野球のニュースが国民的な話題となる時でもあります。
 
夏の大会が幕を開けるとまもなく、ヒロシマ・ナガサキとつづく原爆忌……。やがて終戦の日の正午になると、戦争を知らぬ球児たちがプレイを中断して、おごそかに黙祷を捧げます。そして、プレイが再開して数日後、めでたく優勝校が決まるという筋書きとなっているのです。(アメリカ製の原子爆弾に息の根を止められた日本近代のエネルギーが、アメリカ製のベースボールによって息を吹き返すという、皮肉な構図…)
自然の繁殖力が頂点に達する、蒸し暑い夏の盛り。甲子園で繰りひろげられる青春ドラマに日本人が心惹かれてきたのは、戦争で命を散らせた若人たちの姿を、ひたむきな球児たちの姿に重ね合わせてきたことがベースにあるからではないでしょうか。奇しくも時は、死者が還ると信じられた、お盆の季節…。
 
未曾有の敗戦と奇跡の復興という昭和日本の「再生」のドラマを少年野球でなぞることにより、歴史の共有と民族の活力のよみがえりとを日本人は確認してきたと考えられるのです。夏の高校野球に「清純」や「アマチュアリズム」が過度に要求されるというのも、汗と泥にまみれグラウンドに白球を追う丸刈りの少年たちを、戦場で散った尊い命の生まれ変わりと見なすなら合点いくことでしょう。
 
■夏の甲子園や年末の「第九」に込められた、日本人の思い
 
大阪城ホールの「一万人の第九」(佐渡裕・指揮)をはじめ、全国津々浦々で師走名物となった第九シンフォニーの演奏会も、日本だけに見られる現象であり、作曲者のベートーベンをうんだドイツには見られません。
その原点をさかのぼると、敗色濃い第二次大戦末期、学徒出陣で戦地へ赴く学生たちを見送る際、第九が演奏されたことに行き着きます(戦争中、敵国だったアメリカ・イギリスの文化芸能は禁止されましたが、同盟国ドイツの音楽は観賞できました。終戦の二か月前にも日本交響楽団―現・NHK交響楽団が第九を演奏しています)。
そして、終戦―命永らえて祖国へ生還した青年たちが、戦場に散った仲間たちをしのんで、第九を再び合唱したことから、去りゆく一年(軍国日本)を厳粛に見送り、澄んだ気持ちと共に新しい年(新生日本)を迎えいれる儀式として、しだいに「師走の第九」は定着していったようです。
日本人にしか解りえぬ宗教的な意味合いが込められた、夏の甲子園や、年末の「第九」の隆盛を見るに、痛切な思い出に支えられてこそ明日を生き抜く活力を得る、という見方ができるかもしれません。
 
■過去から逃れることが出来ないとしたら…
 
人間の心の不幸は、そのほとんどが「記憶」に由来するといっても過言ではありません。どんなに辛いことがあっても、それを覚えてさえいなければ苦しむことはないからです。だから、いっそのことんでしまえば楽になれる―そう思いつめる人が出てくるのも無理からぬことですが、それなら、んでしまえば本当に人間の記憶というのは消え失せるものなのでしょうか。
天神(菅原道真)信仰の例をひくまでもなく、非業のうちに死んでいった人々の霊を日本人が丁重に祀ってきたのは、故人の妄執が生き続けて災いを及ぼすことを恐れたからでした。
過去から逃れることなど、けっして出来ないのだとしたら、痛ましい思い出を心の糧にして生きていく道もあるかと思われます。
 
■人生の達人は「忘れること」と「思い出すこと」の達人
 
はるかな昔。人間という、進化する生き物は、殖え続ける知覚や感覚を小さな頭の中に収めることができなくなって、生活の維持や専門的な職業のために日々欠かせぬ情報を除き「いったん忘れる」技を体得しました(そうしなければ、日々あらたな情報をインプットしてやまぬ頭部は際限なく肥大をつづけ、人類は直立できなくなっていたことでしょう)。そして、それら忘れられた記憶群を時と場合に応じて人は「思い出す」ことにしたというわけです。(犬がいつまでも元の飼い主を覚えていたり、猫が昔の家を記憶していたりするのは、片時も忘れず覚えているということであり、いったん忘れてしまえば思い出すことはないようです) 
そんな人間の記憶操縦のコンダクターの役をはたしてくれるのが「脳」です。人が死ぬとき全生涯が走馬灯のように浮かび上がるとか言われるのは、実生活の要請に基づく記憶の選択から脳が解放され、過去のすべての思い出が押し寄せてくるからでしょう。
 ただし、日々雑事に追いまくられていると、自分の心にとって重大な意味を持つことでも、なかなか思い出す余裕などありません。狭い思い込みの中を堂々巡りする毎日の繰り返し、ということになってしまいがちです。
 
ここに「文化」の出番があるのではないでしょうか。
たとえば未知の芸術作品に接して私たちが感動するということは、単なる物珍しさ故ではなく、心の奥に潜んで、自分でも気づかなかった(もしかしたら太古の祖先から受け継いできたかもしれぬ)深い深い心の記憶を、芸術が呼び戻してくれたということになるのかもしれません。
 
『知らないという事と忘れたという事は違う。忘れるには学問をしなければならない。忘れた後に本当の学問の効果が残る』(内田百閒)
 
人を人たらしめているのは、この「忘れる」+「思い出す」能力であり、人生の達人とは、忘れることと、思い出すこと、両方の達人とも言ってもよいでしょう。
 
■「」に深く思いを寄せるとき、芸術は神聖な姿を表わす
 

死後も消えやらぬ情念や悔恨など、人間のの深さを浮き彫りにして、ゆかりの土地をさまよう亡霊や救いへの渇望を描くというのが、世阿弥(1363?~1443?)のつくりあげた「夢幻能」の世界でした。



 
能がうまれた時代は、源平の争乱や古代のさまざまな出来事が日本人の心に沈殿していき、それらを国民的記憶として受けとめることができるようになった時代でした。過去をあるがままに振り返れるところまで、日本人の心は成熟していきました。(かたや戦後の日本人は、先の大戦の全体像を過不足なく思い出すことが、まだ出来ないでいるようです)
中世の戦乱の世は、日常的に死を見る時代でしたから、そんな修羅場を潜り抜けてきた武人の体験が、最終的にシテ(能の主役)の肉体へと凝縮されていき、沈潜した芸境へと昇華していきました。
能楽堂の客席に座る見物は、全員がそれぞれ違うことを考えたり感じたりしているわけですが、シテは黙って座っているだけで、見物の人々が考えたり感じたりするリズムを司っています。
そこには、人間が生まれて死ぬということが、この世の森羅万象と如何に関わっているのかを探ろうとする試みがあり、そこに表れたコスモロジー(世界観)を体の中に摂り入れたところが、能という芸術の、時代を超えた強さ深さの秘訣でしょう。
」に深く思いを寄せるとき芸術は神聖な姿を表すのです。
 
■古今東西の演劇では、亡霊たちが重要なキャラクター
 
死者が現世の人間の間に現れて、この世への執着や恨みを語るという、能の形式に西洋の文学者たちは早くから注目してきました。
みずからの劇に能の形式を摂り入れたアイルランドの詩人・劇作家イエーツ(1865年~1939年)晩年の『煉獄』は、死後もゆかりの土地をさまよう亡霊や死者の悔恨、そして人間の救いへの渇望を描いています。我が子を失った母親の悲しみが胸を打つ能の『隅田川』も早くから翻案されて、イギリスの作曲家ブリテンの『カーリュー・リバー』のように何度かオペラ化もされてきました。それが逆輸入の形で日本に入ってきて、現代能として上演されたこともあります。
非業のうちに死んでいった菅原道真能の主役となるのは当然の成り行きでしたし、シェークスピアの『ハムレット』等の例をひくまでもなく、古今東西の演劇において亡霊たちは重要なキャラクターとなってきました。
死者たちの築いてきた歴史の堆積の上に私たちは生きているのであり、すぐれた古典劇は観客の心の奥深くから死者の魂(人間の潜在的な無意識)を呼び起こしてくれるものなのです。
 
■父から受け継いだ最も大切なものは…
 
村上春樹氏の『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』など初期の小説に登場する「羊男」も、そんな過去の亡霊の集合体と考えられます。
中肉中背、ガニ股ぎみで、くたびれた、童顔の、中年男。羊の毛皮を冠ってはいるが、どこか身に合わぬ―そんな珍妙な羊男の姿こそは、〈西洋〉という毛皮を冠って近代化というレールを走ってきたものの、いつしか深い疲労感に襲われている、現代日本人の戯画でもあるでしょうか。
 
六十年代に吹き荒れた若者たちの反乱が去った後の「凪の風景」をあざやかに切り取って、七十年代の終わりに村上春樹が登場したときの、静かな衝撃は今も忘れることができません。
政治や社会について言及することを注意深く避け、父なるものを書かないことで、戦前の日本を清算する世界を描いてきた村上氏が、最新作『IQ84』で〈父の死〉を取り上げています。
「…父の体がベッドに残すくぼみ…父の空白を自身の熱い空白で埋める瞬間…」
春樹氏の父である、村上千秋氏は昨年なくなっています。お別れ会には私も参加し、春樹氏と直接に話もしました。
村上千秋という人は、学徒出陣で中国戦線に送られ、おびただしい死と遭遇したといわれます。毎朝のように長いお経を唱える父親の背に死の影が漂うのを見て少年時代を送ったという村上氏は、父の心の傷が自分の傷になったと、オランダの作家イオン・ブルマのインタビューで語っています。今年二月のエルサレム賞受賞時のスピーチでも、父の胸にしまいこまれた死の存在父から受け継いだ最も大切なものの一つ、というふうに語りました。
〈村上は子供の頃に一度、父親がドキッとするような中国での経験を語ってくれたのを覚えている。その話がどういうものだったかは記憶にない。目撃談だったかも知れない。あるいは、自らが手を下したことかも知れない。ともかくひどく悲しかったのを覚えている。〉『イアン・ブルマの日本探訪』
〈ただひとつ私の申し上げたいのは、私たちは、あなたと同じようなごく普通の青年であったということです。私は軍人になりたいと思ったことなぞただの一度もなかった。私は教師になりたかったのです。しかし大学を出てすぐに召集を受け、半ば強制的に幹部候補生になり、そのまま内地には戻されることなく終わってしまいました。私の人生なぞはかない夢のようなものです。〉村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』
 



そんなふうに描かれている、村上千秋先生の国語の授業を受けた、教え子の一人が、私(河内厚郎)です。
 
河内厚郎氏コーディネート『日本文化ゼミ』開講
駅前第二ビル4F、キャンパスポート大阪(06-6210-3620)で開講している、「関西社会人大学院連合」の『日本文化ゼミ』を一昨年からコーディネイトしています。講師には、有栖川有栖(ミステリー文芸)、桂吉坊(上方落語)、高島幸次(天神祭)、笠谷和比古(武士道)、関基久(「ロイヤルホース」オーナー)など、各界の人材を招いています。次回の講座は「情報社会のコンテンツ」がテーマです。
【概要】
デジタル化・IT化の急速な進展に伴い、マスコミの世界に転機がおとずれています。その現状と、将来の展望とを、各界の現場でコンテンツ制作に関わってきた専門家が語ります。テレビで見慣れた顔も講師陣に加わります。
2010年
・1月14日(木)「広告業界の最前線」博報堂・CMディレクター 今村荘三
・1月28日(木)「テレビショッピングの舞台裏」タレント 高橋知裕
・2月11日(木)「テレビドラマ制作・今昔」  前・NHKプラネット近畿総支社番組制作センター部長(現・NHK大阪ホール副支配人) 永山あつし
・2月25日(木) 「タウン誌・フリーペーパーの今後」 タウン誌編集者 岩城則子

        

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