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連載第5回 (2009年6月15日公開)

シェイクスピア劇の初演は、大阪だった!

阪神なんば線の開通で、古都奈良と姫路城をむすぶ「世界遺産特急」を期待すると同時に、途中の大阪に世界遺産がないのを嘆く声があるようです。
 
しかし、ちょっと待ってください。歌舞伎と文楽は、日本が誇る無形世界遺産であり、大阪には、関西歌舞伎のホームグランドである松竹座と、文楽のナショナル・シアターがあるのです。 今夏、その歌舞伎と文楽がシェイクスピア劇に挑みます。
 

■文楽の総力をあげ、
シェイクスピア作品の決定版に



 
 
歴史上もっとも著名な劇作家といえば、ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)でしょう。
大阪松竹座の7月大歌舞伎では、そのシェイクスピアのロマンチック・コメディ『十二夜』が翻案上演されます。次々起こる双子の取り違いや、めぐりめぐる片思いの輪……人間の悲哀と滑稽、理知と不条理を描いた傑作喜劇を、日本の中世に時代設定した蜷川幸雄の演出は、鏡を多用した演出、縦横に船を動かす幕開きの遭難シーン、蒔絵を施した漆塗りの箱のようなセット・・・・(五月末、旭区の芸術創造館マンスリーシアターで上演された「十二夜!ヤァ!yah!~御意のまんまに~」〈大阪市主催〉は、女優陣だけの関西弁による「十二夜」でした。昨年は兵庫県立ピッコロ劇団が男優のみで演じています)
7月~8月の国立文楽劇場では、シェイクスピア最後の大作『テンペスト』を翻案した『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』が上演されます。領地を奪われ孤島に追われたミラノ公が魔法の力を得て簒奪者(さんだつしゃ)に立ち向かうドラマを、わが国の大名同士の権力争いに置き換え、浄瑠璃に翻案しました。量感あふれる義太夫節の特性を活かしたものとなっています。関係者は「文楽の総力を挙げ、シェイクスピア作品の決定版にしたい」と意欲を燃やしています。
)簒奪者=政権や天皇、帝王の位を奪い取ること
 
  ■『ロミオとジュリエット』は『悪因縁』
 
ところで、そんなシェイクスピア劇を、日本で初演した都会が大阪だったということを御存知でしょうか。
明治18年(1885)4月、シェイクスピアの喜劇『ベニスの商人』が『何桜彼桜(さくらどき)銭世中(ぜにのよのなか)』という外題で翻案されて大阪朝日新聞に連載が始まりました。これが翌月には道頓堀・戎座(のちの浪花座)で芝居になり、好評を博したのです。作者の名は宇田川(うだがわ)文(ぶん)海(かい)(1848~1930)。主演は、明治期前半に実川延若(初代)と道頓堀の人気を二分した、上方歌舞伎の名優、中村宗十郎(1835~1889)。
これがまもなく道頓堀・朝日座で少し脚本を変えて上演され、芝居町の道頓堀でシェイクスピア劇が競演される事態となりました。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』も『悪因縁』という名で翻案されて繰り返し上演され、人気を博しました。
そんなわけで、私はイギリス人に会えば必ず「シェイクスピアを日本で初演したのは大阪」という話をするのですが、イギリス人はシェイクスピアを自慢にしていますから、大阪を見直してくれます。
 
  ■翻案劇の上演が可能となったのは、関西の演劇文化と市民言葉の伝統
 
その本邦初のシェイクスピア劇より、さらに百年ちょっと前。近松半二(1725~1783)の書いた『妹背山(いもせやま)婦女(おんな)庭訓(ていきん)』が、人形浄瑠璃として道頓堀・竹本座で初演され、まもなく道頓堀・中の芝居(のちの中座)で歌舞伎に移されました。現在も歌舞伎や文楽でよく上演される人気演目で、三島由紀夫がことのほか愛したドラマですが、これを道頓堀の角の芝居(のちの角座)で観劇したシーボルトが、『ロミオとジュリエット』によく似た筋書きだ、と友人に手紙を書き送っているのです。不和だった二つの名家が若い恋人たちの犠牲により和解するという筋書きが共通しているからでしょう。一説によると、『ロミオとジュリエット』がイギリスからオランダへ渡り、オランダから長崎経由で大阪の芝居へ移植されたというのですが、真偽のほどはわかりません。
 
 東京の歌舞伎界では松本幸四郎家が代々シェイクスピア劇に挑んできましたが、それにしても、明治十八年に大阪で歌舞伎俳優たちにより上演されたシェイクスピア劇というのは、どんな言葉で演じられたのでしょうか。今の東京標準語は当時まだ成立していなかったわけで、おそらくは江戸時代に確立した大阪の浄瑠璃言葉で演じたと想像されます。
そういえば、松竹新喜劇を創設した二代目渋谷天外(1906~1983)もモリエールの喜劇『守銭奴』を翻案上演しましたし、劇団神戸が女流義太夫を伴奏に用いたモリエール劇の試みも好評でした。
関西に長い演劇文化と市民言葉の伝統があればこそ、さまざまな翻案劇の上演が可能となったのです。
 
さて、「喜劇」という日本語が関西でうまれ百年以上たちました。
明治期の日本人がcomedy(コメディ)を「笑劇」ではなく「喜劇」と訳したのは正解だったと思われます。言葉の解釈に広がりが出て、わが国の近代演劇はそれだけ豊かになりました。
 
  ■すぐれた古典悲劇が教えてくれる人間世界の真実
 
しかし、tragedy(トラジェディ)を「悲劇」と訳したのは、どんなものでしょう。現代の日本人は「」という言葉にセンチメンタルなイメージを喚起されるため、ややもすると、お涙頂戴ふうの印象が先行してしまいます。しかし、演劇の原点とされる古代ギリシャ悲劇や、今日もどこかの劇場で上演されているシェイクスピアの悲劇、あるいは、平家の武将・平知盛の壮絶な最期を扱った『義経千本桜―大物浦(よしつねせんぼんざくら-だいもつのうら)』のような古典悲劇を観るに、これだけの人間的魅力をもった主人公なら、もうこのように滅びていくしかないのではないか、というふうに得心させるスケール感があるのです。もっと巧く立ち回っていたら、こんな悲しいことは起こらなかったのに―といった月並の感想を抱くのが馬鹿々々しく思えてくるほど、圧倒的な絶対的な感情で観客の心を満たしてくれるのが、真のTragedyだということです。それは、悲しい劇というより「運命劇」と呼ぶのがふさわしいと、小林秀雄が説いたのもむべなるかなと思われます。
いくら先回りして先手々々を打ったつもりで生きてみたところで、人生の全体像を把むことはできません。苦難のなかへ巻きこまれてこそ人生の真実を知る手がかりもあるからです。平知盛に「見るべきものは見つ」と人生の最期に言わしめたのは、「運命愛」といってもよい巨大な精神の輝きでした。人生と真っ向から切りむすぶことでしか垣間見ることのできない深淵というものがあり、そこでしか人間世界の真実を把みとることはできないということを、すぐれた古典悲劇は教えてくれているのです。
自分では何もかも心得ているつもりでいながら、勝者も敗者も、無我夢中で歴史の波に翻弄され、時代の彼方へと押し流されていく―そんな主人公たちの運命的な姿に私たちは心うたれます。それは、客観的・分析的に歴史を俯瞰するだけでは決して得られない感動であり、人間という(ドラマ)の内側に入り込んで歴史を理解しようとする者だけが手にしうる特権といってよいでしょう。
深く人生を味わうことは、それだけの精神のエネルギーが求められるということになります。
 
■河内厚郎『十二夜』『テンペスト』の見どころを語る
 
 
6月24日(水)午後7時~8時半、リビングカルチャー倶楽部大阪教室(大阪駅前第四ビル19階)で、河内厚郎のおもしろ伝統芸能講座「シェイクスピア劇の本邦初演は大阪だった!」を開催します。東西の歌舞伎界における翻案劇上演の歴史をたどり、『十二夜』『テンペスト』の見どころを語ります。

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