2012. 2. 6
亀川 秀樹
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連載第4回 (2009/5/15公開)
半世紀にわたり、日本を代表するホールとして国内外に名を知られた、中之島のフェスティバルホールが、建て替えのため閉館しました。
五年後の再開場が待たれます。
このホールが世界に名を轟かす契機となったのは、バイロイト祝祭劇場の引っ越し上演ともいうべき「バイロイト・ワーグナー・フェスティバル」でした(一九六七年四月、大阪国際フェスティバル)。ワーグナーの聖地バイロイトを大阪に再現した『トリスタンとイゾルデ』『ワルキューレ』の二作が、大ワーグナーの孫ヴィーラントの演出、ブーレーズ、シッパースの指揮、歌手にヴィントガッセン、ニルソン、ホッターという、本場ドイツでも容易に実現しない豪華陣で上演されたのです。前年に逝った天才演出家ヴィーラント最後の舞台ともなりました。特殊照明器具が五十台輸入され、高額チケット料金にもかかわらず内外からオペラファンが集結。この空前の舞台にふれたことで、以後の人生が変わってしまったという人が私の周囲にも少なからずいます(歴史学者の笠谷和比古氏など)。
大阪国際フェスティバル(一九五八~)は、ザルツブルクやバイロイトが組織するヨーロッパ・フェスティバル連盟に加盟した東洋唯一の音楽祭でもあり、日本各地の音楽祭の原点となりました。
このホールは、能や狂言、歌舞伎舞踊などの古典芸能を、近代的な舞台機構の中で演出してきた歴史を持っています。
■■狂言界の名門、善竹家の三人のプリンスが活躍
大阪を本拠地として活躍する狂言の一門といえば、まず大蔵流の善竹家があげられます。善竹隆司・善竹隆平・善竹忠亮という三人の、眉目秀麗で、将来を嘱望されているプリンスが、大阪能楽会館(中崎町)・大槻能楽堂(上町)・山本能楽堂(徳井町)などで活躍しています。
先述の最終公演を観た朝日新聞の西本ゆか記者は、「冒頭の若手トークコーナーで、隆司は紋付き袴に赤いチェックのスリッパ姿で現れた。仲間の激しいツッコミにも笑顔を崩さぬ悠然たる姿に客席は爆笑、場は大いに温まった」と報告しています。
善竹隆司の演出により、手塚治虫・原作「ブラック・ジャック」を狂言に仕立てる試みも好評を博しました(昨年十二月、宝塚ソリオホール)。隆司・隆平の兄弟は大阪文化祭奨励賞を受けており、隆平は文化庁芸術祭新人賞も受賞しています。二人の従兄弟に当たる善竹忠亮は、他ジャンルの人々とのジョイント企画で、シェークスピア劇の主役にも挑むなど意欲を見せています。(狂言には大蔵流と和泉流がありますが、和泉流では小笠原匤氏が大阪を本拠に活動しています)
■■初の人間国宝に認定された善竹彌五郎
善竹という姓は、能楽を大成した世阿弥(一三六三~一四四三)の女婿、金春禅竹(一四〇五~一四七〇頃)からとったもので、禅竹の「禅」に「善」の字を当てた時期もありました。現在の善竹一門の祖は、狂言方として初の人間国宝に認定された、善竹彌五郎(一八八三~一九六五)です。もっとも正統派の狂言を伝承していると謳えられた名人です。彌五郎の『業平餅』は、もしも貴公子・在原業平が歳をとったらなるほどこんな感じだったろうなと思わせるような、繊細かつ写実的な芸でしたが、骨太で力強い一面もあわせ持っていました。愚直なまでの芸に対する誠実さの持ち主であった証拠には、たとえば『太刀奪』で、泥棒を捉まえ縄をなうところでは、ともかく縄をなうことに専念し、刀で突き飛ばされて転がるところなども、人間のありのままの無様なさまでなければいけないからと、カッコつけずに、みっともなく転がったと伝えられます。
「近ごろの狂言は茶番みたいだが、
昔はもっと真面目なもので、
真面目な中から出てくるユーモアだった」
と、生前の彌五郎はよく語っていたそうです。「狂言」は、ただ単に滑稽な喜劇というだけでなく、他人から見れば他愛もなく映るようなことに、大のオトナが本気で取り組んでいるという、その真実の姿に心うたれるものがあるからこそ、笑いの中に感動があるのでしょう。人は「世間」という劇場のなかで何らかの役を演じ分けて生きています。「らしさ」という仮面をつけることで、世の中と折り合いをつけて生きる術を身につけるのですが、そんな一般人から見れば、真剣さが嵩じて仮面を脱ぎ捨て、思いが凝結して一心不乱になってしまった人(物狂い)の姿に、一種の「おそれ」にも近い敬意を抱くものではないでしょうか。
この名人・彌五郎の長男が善竹忠一郎(先代)、次男が大蔵流の家元となった大蔵彌右衛門、三男が善竹玄三郎、四男が善竹幸四郎、五男が東京で活躍した善竹圭五郎で、玄三郎以外は故人となりましたが、子孫は関東と関西に分かれ、年に一度、大阪と東京で「善竹狂言会」を開いてきました。
なお、善竹彌五郎の夫人は、新撰組隊士、伊東甲子太郎の、姉の子孫に当たるということです。

■■「機(チャンス)は気なり」と言った世阿弥
古典芸能に限らず、私は生の舞台に接する体験というものを、「気」をキーワードにして考えています。
世阿弥は「機(チャンス)は気なり」と言いました。
「気」とは、すなわち「息」。息は「呼吸」を指します。すぐれた舞台芸術に接した観客の心は、おのずと舞台のほうに吸い寄せられていくものです。客席の呼吸は、名優や名人の強靭な息に引っ張られていき、やがて劇場全体が一つの息となったクライマックスの場面になると、そこに居合わせた全員の息が一瞬止まるのです。その瞬間、場内は一つの生き物と化します。∧個∨を超えて高みの世界へと引き上げられた観衆は、観劇中もっとも高揚した時間を共有することになります。
生きとし生ける者は、緊張したとき、重大な決断をするとき、息を止めます。「息を詰める」「息を殺す」「息を呑む」「息を潜める」…これらの表現は、どれも呼吸を停止する動作を意味します。緊張感を持続して日々を真剣に生きている者ほど、息を止める動作も多くなるわけですから、緊張が解けた際に吐く息も当然に大きくなります。劇場においても同様で、のぼりつめた場内の緊張が解けたとき、人々は大きく息を吐いて、どよめきのごとき歓声が場内に洩れるというわけです。
息の大きい人ほど多くの人を惹きつけるとよく言われるのは、日頃から己の存在を賭けて生きる、そのテンションの高さに人々が引っ張られるからでしょう。「生き」も「活き」も「勢い」も、つまるところ「息」の使い方にかかってくるということです。内臓の中で、人間の意識によりコントロールできるのは、呼吸を司る肺しかないのですから。
■すぐれた舞台にふれることで、自分の人生が大きくなる
私はNHKテレビで舞台中継のナレーション役を務めたとき、日頃から本格的な呼吸訓練をしていない、素人ナレーターの息のはかなさを思い知らされたことがあります。対談番組とことなり、一人っきりで解説する場合、息つぎの間がなかなか取れず、こっそり息をすると視聴者に気づかれてしまうのです。それは一九九〇年、現・坂田藤十郎が前々名の中村扇雀の時代に上演した『堀川波の鼓』(近松門左衛門・作)を舞台中継した折のことで、この折の扇雀と相手役・中村富十郎の演技は見事なものでしたから、よけいに自分の非力を痛感させられたものです。
歌手や俳優はもちろんのこと、アナウンサーや声優といった職業の人々も身にしみてそのことを知っているはずで、ここぞというところで一気に、つまり一息で勝負をかけることのできる、プロの芸人の水準の高さに、あらためて思い到った次第です。
とりわけ感心させられたのは、扇雀や富十郎の、息の長さ、雄大さで。ほとんど息つぎをしていないかのように見受けました。だからこそクライマックス一息の芝居ができるのでしょう。
すぐれた舞台にふれることは、自分の人生を大きくしていくことにもなると思うのです。

2009. 5. 15 (金)
【最終回】 (2010年3月18日公開)