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連載第3回 (2009/4/16公開)

関東の観客に関西への憧れを抱かせた森本薫のドラマ

大阪市が、三十年前から建立してきた、文学碑(十五基)を御存じでしょうか?

 



森本薫文学碑
大阪市北区の中津二丁目の中津公園には、中津六丁目で生まれ育った、劇作家・森本薫の文学碑が建っています。


森本薫(1912~1946)の長男、森本年(みのる)さん(大阪市平野区在住)から「大阪市の大阪文学館構想が凍結となったのなら、父の遺品を東京の早稲田大学演劇博物館に寄贈したい」という連絡が来たので、慌てた私は昨年末、大阪大学の博物館へ寄贈してもらうよう取り図らい、実現しました。(筆者としては、構想倒れに終わったことに忸怩たる思いがあるので)

昨年12月、その森本薫の代表作『華々しき一族』(1935)が、茶屋町の「梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ」で上演されました。主演した女優・若尾文子が、演劇人として「あらためて舞台に立ち、演じ切りたいと切望した」という、このドラマが昭和初期に登場したとき、関東の観客は阪急沿線あたりのブルジョア家庭を想定して関西に憧れ(谷崎潤一郎の『細雪』と時代背景が重なります)、関西の観客の目には東京の山の手の風俗に映ったという、愉快なエピソードがあります。

70年以上も前の戯曲とは思えない現代的で洗練されたセリフが随所にちりばめられ、登場人物たちも類型的には描かれていません。『華々しき一族』は、『女の一生』と並ぶ、劇団「文学座」と女優の故・杉村春子の代表作となりました。日本の戯曲がそれまで持ちえなかった、近代的で知的なセンスにあふれた心理劇や、非凡な技巧とサービス精神により大衆の心をつかむ放送劇(ラジオドラマ)や映画シナリオを残した、森本薫の作品群は大阪の財産でもあると思うのです。純文学と商業演劇との中間的な劇作家で、マスコミの仕事をしながら文学者としてのレベルを保った森本薫の芝居を、今の四十代くらいの演劇人たちは、きちっと作りこまれたプロフェッショナルな作品として興味を持つようです。年齢を重ねるにつれて分かってくる芝居だということかもしれません。

残念ながら、若尾文子・主演『華々しき一族』に原作の芯となる台詞劇・心理劇の真骨頂は見られませんでしたが、このたび上演した梅田芸術劇場といえば、16年前の開場式典(当時のメインホールの名は劇場飛天。ほどなく梅田コマ劇場に、さらに梅田芸術劇場へと改称)の折、森本薫と同じく北野中学(現・北野高校)を卒業した長老俳優、森繁久彌が「わが母校の地に建つ」と新劇場の柿落しを祝ったことが思い出されます。つまり、森本薫にとっても母校となる地に本人の代表作が里帰りしたということになるわけです。(森本薫文学碑の落成式には、旧制北野中学のOBらに混じって杉村春子も列席しました)

もう一人、同じく中津に生まれ育ち、北野中学を出たという、有名な芸術家がいます。一昨年秋に大阪市立美術館で大規模な展覧会が開かれた、画家の佐伯祐三(1898~1928)です。都心に残った最後の一等地、北ヤードと接する中津の地で、モダン大阪を象徴する二人の芸術家は生まれ育ったのです。西宮在住の劇作家、山崎正和氏は「北ヤードに佐伯祐三美術館を」と提唱していますが、私はそこに「森本薫記念劇場」も加えたいと願っています。

 

三島由紀夫が心から愛した詩人・伊東静雄

近代大阪が生んだ詩人といえば、中之島の中央公会堂の前に詩碑が建つ、三好達治(1900~1964)の名が思い浮かびます(大阪市は、すぐれた詩集に与えられる「三好達治賞」を主催しています)。

三好達治碑


あるいはまた、大阪に住み続けて創作活動を行った詩人となると、三島由紀夫が心から敬愛した伊東静雄(1906~1953)の名を忘れるわけにいきません。その詩碑は阿倍野の松虫に建っています。

伊東静雄碑


伊東静雄の命日は、季節の花にちなみ、「菜の花忌」と呼ばれてきました。その菜の花忌という名称を司馬遼太郎のファンが「横取りした」と不快に感じている人が少なからずいると聞き、出身地である長崎県諫早の市役所に問い合わせてみました。諫早市の文化行政担当者が言うには、司馬遼太郎の命日を菜の花と名づけた団体に異議を唱えたところ、「もう決まってしまったから」という理由で聞き容れてもらえなかったとのことでした。当時このことは新聞にも報じられたようです。「人に迷惑をかけない」をモットーにしていたという故・司馬遼太郎にとっても迷惑な話に思われます。

 

檸檬忌の梶井基次郎

中央区・下寺町の常国寺(上方歌舞伎の名優、初代中村鴈治郎の墓所でもあります)にある梶井基次郎の墓石にレモンが置かれているのをよく見かけるのは、梶井の名作『檸檬』のタイトルに因るものです。檸檬忌が梶井の命日の呼び名となっているのです(梶井の文学碑は、西区の靭公園にあります)。

梶井基次郎碑


「直木賞」にその名を残す、直木三十五の記念碑は中央区の安堂寺町にあり、記念館は直木の卒業した旧・桃園小学校跡地(現在は桃園公園)の傍にあります。(芥川賞の名は、いうまでもなく芥川龍之介からとられています)

直木三十五碑


芥川賞・直木賞の受賞者に近年は関西出身者が多いことから、これを関西の「地域力」と関連づけて論じたがる向きが主に地元のマスコミに見られますが、東京の学校を出れば出版社で編集の仕事にありついたり批評やエッセイを手がけたりと職業選択に幅があるけれども、関西在住だと実作者になるしか文学への道が開けにくいので、おのずと地芸を磨かざるをえないという、いたって単純な理由からとも考えられます。

それでも、関西市民が独特の「語り」や「噺」の伝統を背負っていて、自分を突き離して眺める精神的余裕を持ち合わせているというのは、どうやら本当のように思われるのです。周囲との距離感を表現するのに巧みなのは、関西弁と標準語を日頃から使い分けているからだという指摘は、かねてからありました。おそらくは、無意識裡に体得している都市的・歴史的な言語感覚が、標準語というフィルターを通すことで顕在化するということでしょう。

 

大阪の風土が育てた宇野浩二

そんな先達を過去の文学者に探すと、芥川賞の選考委員をつとめた小説家、宇野浩二の(1891~1961)が思い浮かびます。同時代を生きた谷崎潤一郎(1886~1965)いわく「意識の流れの栓を抜いてそのまま紙上へぶちまけたかのやう」な説話体の文章を、大阪落語の味わいや浄瑠璃のようだと評する声もありました。実人生の悲哀を綿々とつづる私小説のようでありながら、「虚」と「実」が巧みにいりまじり、独特のモノガタリ的な魅力とユーモアをそなえた宇野浩二の文章は、まぎれもなく大阪の市民風土が育てたものでした。(宇野浩二の文学碑は、中央区糸屋町の中大江公園にあります)

宇野浩二碑


宇野浩二谷崎潤一郎が活躍した大正末期から昭和初期にかけての文学界は、近代標準語が首都東京で成立してから半世紀に満たず、二葉亭四迷に始まる言文一致体も容易には成熟せずに、ややもすると言葉は肉体を失って観念化していき、芥川龍之介のように物語ることを断念して遂には小説が書けなくなってしまうケースもありました。谷崎潤一郎の場合は、東京出身でありながら阪神間へ「亡命」することにより、上方の豊潤な物語世界と音楽性ゆたかな女性言葉に触発されて、『春琴抄』や『卍』といった作品にみる新境地を切り拓くことができたのでした(谷崎潤一郎の文学碑は、日本橋の国立文楽劇場の西にあります)。

谷崎潤一郎碑


子供が母親の語る物語を聞いて本好きに育つというのは、本来、もともと耳から入る音楽としての性格を言葉は持っているからだと考えられます。ところが明治以降、日本語は急速に流れこむ西洋の文物の解釈や説明に追いまくられて言葉は「意味」の同義語と化した観があり、「響き」や「リズム」はないがしろにされてきました。なかんづく男たちの言語が理屈や観念に走り情緒的性格を失う傾向にあることを憂慮していた文士が谷崎でした。

 

関西の風土の底に流れる言葉の母なる水脈・芥川賞作家・津村記久子・川上未映子

このほど、「咲くやこの花賞」に続いて「芥川賞」を受賞した津村記久子さん(大阪市在住)の受賞作『ポトスライムの舟』は、就職氷河期に社会に放り出されたロストジェネレーションの日常を、ユーモアあふれる関西言葉を駆使して、淡々と、軽妙に描いています。昨年『乳と卵』で受賞した、同じく大阪出身の川上未映子さんの文体も、長いセンテンスや日記で使われる関西弁が独特のリズムをかもしだしているのが話題となりました。

言葉の母なる水脈とでもいったものが今も関西の風土の底流に今も流れているのか…定かには分かりませんが、井原西鶴の昔より、人間世界を多元的に捉えようと言葉の文化を蓄積してきた大阪から、日本文学を活性化させていく人材が次々と現れてほしいものです。

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